山鹿市の六地蔵一覧と解説

六地蔵幢(ろくじぞうとう)のかたち解説

六地蔵幢の各部

こちらは、鹿北にある下中の六地蔵です。

上から、宝珠、傘、六地蔵が彫られている龕(がん)、中台、幢身、土台です。

時々、宝珠や傘が失われていたり、土台が見えなかったりしますが、基本的な作りはこの様になっています。

宝珠:傘の上にある丸い玉です。だいたい、頭がとがっていて、火炎が燃え上がっている形をしていますが、さくら湯そばの六地蔵さんは球形で梵字が彫ってあります。長い間に宝珠が失われている六地蔵さんもあります。

:龕部の上にあるものが傘になります。

(がん):六地蔵さんが彫られている部分です。ほぼ全ての地蔵菩薩が半肉彫で彫られていますが、小坂の六地蔵御宇田の六地蔵、鹿央の堂米野の六地蔵は線刻によってお地蔵さんが彫られています。

中台:龕部の下にあり、六地蔵さんをえている部分です。下中の六地蔵のように、請花(うけばな)で装飾されているものもあります。山鹿市では見かけませんが、中台が格狭間(こうざま)になっていたり、両方あるものもあります。

幢身(とうしん)・幢体 : 六角柱のものと四角柱のものがあります。ここに銘文が書かれていることが多いです。蒲生や庄の六地蔵さんは幢身がとても短くなっています。

土台・基台:六地蔵幢全体を支える役目を担っています。内野の六地蔵(山鹿)のように土台が見えない場合もあります。これは後世に埋められたのでしょうか?

写真の六地蔵幢は双板の六地蔵幢で、宝珠が失われ傘の上部を見ることができるようになったものです。ここに宝珠のホゾが入るようになっています。このように、各部分は、木材加工で見かけるような「ホゾ」と「ホゾ穴」で繋がっていて、石の重みによって支えられています。

熊本城にあった、2016年の熊本地震の時に中台から上が落ちてしまった六地蔵幢も同じ様になっていて、その六地蔵幢を熊本博物館で調査したところ、昭和の頃の初めての移転のときに、誰かがコインを基礎のホゾ穴に入れていたという話がありました。

穴が空いた六地蔵

六地蔵幢の中には双板の六地蔵幢のように窪んだ穴が空いたものがあります。

このように穴が空いた理由はいくつかあるそうで

  • 村の人達が削ってお守りとした
  • 子どもたちが遊びで削った

六地蔵が建てられる理由に「疫病退散」というものがあるのですが、信仰心が深い人々の中にはお地蔵さんを削って持ち帰りお守りにしたそうです。

例えば東京浅草寺近くの「カンカン地蔵尊」ではその粉を持ち帰るとお金に困らないとい信じられ、お地蔵さんの形を留めていないといったこともあります。

山鹿にある六地蔵幢に窪んた穴が空いた理由も、もしかしたら、ここを通る人々や村の人々が削り取ったのかもしれません。

 

もう一つの理由は、六地蔵さんのある場所で子どもたちが遊んで削ってしまったという話もあります。平山の双板六地蔵さんの窪みは、子供が削ったのではないかといわれているそうです。

山鹿市の六地蔵さんの建造理由と建造時期

山鹿市にある六地蔵さんは、六角形の各面にお地蔵さんが彫られている六地蔵幢(ろくじぞうとう)が多く、昔、人通りが多かった場所や村の中心地に建てられています。

道中の交通の安全、地区の人々の疫病等からの解放など様々な思いが込められて建造されました。各地の六地蔵幢の幢身には建造の理由が彫ってある場合があります。

建造時期は山鹿市内最古の小坂の六地蔵さんで文明10(1478)、室町時代9代将軍の頃、鹿本町、下高橋の六地蔵は1765年、江戸時代は徳川10代将軍である徳川家治の頃に作られたものなど様々です。

山鹿市にある六地蔵一覧

山鹿市にある六地蔵さん、とくに六角形の六地蔵幢について、合併前の山鹿市・旧鹿本郡それぞれの地区に分けでまとめて書いています。各地区ごとに写真付きで掲載しています。

菊鹿町にある六地蔵さん
内野の六地蔵
川西の六地蔵
下永野の六地蔵
黒蛭の六地蔵
大田の六地蔵
山内の六地蔵
山の井の六地蔵
相良の六地蔵
年山の六地蔵

鹿本町にある六地蔵さん
高橋の六地蔵
下高橋の六地蔵
庄の六地蔵
来民の六地蔵
津袋の六地蔵
御宇田の六地蔵

山鹿にある六地蔵さん
小坂の六地蔵(熊野座神社付近)
小坂の六地蔵(野辺田観音堂)
内野の六地蔵(平山)
双板の六地蔵
久原の六地蔵3箇所
蒲生の六地蔵 2箇所
中の六地蔵
志々岐の六地蔵
熊入の六地蔵
山鹿の六地蔵(さくら湯そば)

鹿北町にある六地蔵さん
下中の六地蔵
鹿北の六地蔵さんは1体だけのようです

鹿央町にある六地蔵さん
上広の六地蔵
姫井の六地蔵
霜野の六地蔵
宮前の六地蔵
堂米野の六地蔵幢

 

お願い
ここに掲載していない六地蔵さんがありましたら、お教えいただければ幸いです。また、それぞれの六地蔵さんについて、現在に至る経緯をご存知でしたら、ぜひご教授ください。よろしくおねがいします。

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