山鹿市山鹿地区にある六地蔵さん

旧山鹿市にある六地蔵さん

古かったり小さかったり、一体どこにあるのか探し回ったりと、印象に残る六地蔵さんが沢山ありました。

小坂の六地蔵(熊野座神社付近)

山鹿市小坂の六地蔵幢

市内最古、文明10(1478)年銘がある小坂の六地蔵。山鹿市の指定文化財です。
※室町時代 9代将軍 足利義尚の頃

宝珠と笠が無く、線で彫られているお地蔵さんもよく見ないとわからない感じになっています。

小坂の六地蔵はまだGoogle Mapに掲載されていませんでしたので、探し当てるのに随分と時間がかかりました。

建っている場所は、すでに森の中という様相で、近くの道路からは見えず、保育園扉に案内はあるものの、そちら方面から行くのは難しい可能性があります。最初、熊野座神社から行こうとしたのですが断念しました。おそらく、市内で一番行きにくい場所にある六地蔵さんなので、見られたい方は準備されていかれてください。藪を通る可能性があります。

指定文化財になっていなければ、地域の一部の人だけが知る六地蔵さんになっていたかもしれませんね。

小坂の六地蔵(野辺田観音堂)

山鹿市小坂の六地蔵幢2

旧山鹿郡三十三観音の十二番札所である野辺田観音堂。

こちらの境内奥に2つの六地蔵さんが建っています。

この六地蔵幢は元々は別の場所にあり、こちらに移転されたようです。小坂には別々の場所に3つの六地蔵があったということですね。

内野の六地蔵(平山)

山鹿市平山の六地蔵幢2

平山の内野にある小さな六地蔵さんです。

龕部(六地蔵さんが彫ってある部分)や傘が小さくて上部は細い印象ですが、それを支える幢身は太くしっかりとしています。中台は六角形の石版のようですね。宝珠は失われていました。

双板の六地蔵

山鹿市平山の六地蔵幢

平山にある六地蔵幢です。標柱には「双板六地蔵」と書かれています。この場所は十日町街道というそうで、昔は人が多く通っていたようです。※山を超えた辺りに十町とつく地名がいくつかあるのですが、ここへ続く街道だったのでしょうか?

六地蔵幢の高さは低く、基台(土台)は土の中にあると思われます。幢身は何やら複雑な形をしています。山鹿市の六地蔵幢ではここだけかもしれない形です。中台には何故か球で開けたような窪みがあります。

龕部(地蔵菩薩が彫ってある部分)は長い年月のうちに、風化していったのでしょうね。もしかしたら人々が触り続けたのかもしれません。傘も相当古そうです。その傘ですが、見ての通り宝珠がありませんので、背の低さが手伝って傘を上から見ることができています。つまり、宝珠がどのように傘に乗せてあったかを見ることができるのです。

双板の六地蔵幢(山鹿の六地蔵)

六地蔵幢は木工で行われるように「ホゾ」と「ホゾ穴」で接続してあり、石の重みによって形を保っています。傘には写真のようなホゾ穴があり、上に載っていた宝珠を受けていたのです。

この写真では先程書いた中台の窪みの様子がよくわかります。NPO法人 ひらおぎのwebサイトによると、「子どもたちが遊んでいるうちにできた」という説が書いてあります。この窪みが基台にある志々岐の六地蔵の例もありますので、もしかしたら作った人が同じだったのかもしれません。独特の文様を見て、想像をふくらませるのが楽しいですね。

とても素朴な感じが受けられる、好きな六地蔵さんです。

志々岐の六地蔵

山鹿市志志岐の六地蔵幢

志々岐の住宅地、変形四叉路とでもいう場所に六地蔵幢が建てられています。

高さは230cmほど、基台にはどういう意図があるのか丸い窪みがいくつもあります。双板の六地蔵の中台と同じ感じです。こちらの中台は蓮華が彫られ、宝珠は二重の請花の上に載っています。

幢身の上下で色が違うのは、なぜでしょうね。

久原の六地蔵

山鹿市久原の六地蔵幢

龕部は作り変えられていて、傘は針金で補強されていますが、全体的に手作り感があって好きです。幢身・中台・傘・宝珠、見てるとなんだかほっこりする六地蔵さんです。こちらの幢身は六角柱ではなく四角柱で表面がデコボコしていて、鹿本町御宇田の六地蔵幢と同じような雰囲気です。龕部は六角形の下に向かって細くなっています。

この場所はカーブの内側になっていて、民家に少し入っている感じでした。

久原の六地蔵

山鹿市久原の六地蔵幢

こちらも久原にある六地蔵さんです。地中にあると思われる基台を含めると、2.5mくらいの高さになるのではないでしょうか。彫られた地蔵菩薩、写真の右奥で龕部が少し欠けてしまっていますが、きれいに残っています。宝珠は二重の請花の上にあります。

奥の石垣の上には仁王像が建っていました。

久原の六地蔵

山鹿市久原の六地蔵幢

不動岩をバックに建つ久原の六地蔵幢です。

高さは220cm程でしょうか。基台には志々岐の六地蔵にあるような窪みがありました。中台は傘のように下が広い中台になっています。幢身には沢山の文字が彫られていて人の名前も多く書かれていました。

蒲生の六地蔵

山鹿市蒲生の六地蔵幢

蒲生の小さな六地蔵幢です。
傘は失われているようで龕部に直接宝珠が乗っかっています。幢身と龕部が同じようなサイズで、さらに、中台には蓮華でしょうか、どこから見ても可愛らしい六地蔵さんでした。

この六地蔵さんがある道路は、生活道路であるにも関わらず、近くに新しい道ができる前は採石場からの大型ダンプが毎日引っ切り無しに通っていた場所で、地元の方々のご苦労に思い至ります。

そんな日々を、ずっとずっと昔から、この小さな六地蔵さんが見守られていたのです。

蒲生の六地蔵

山鹿市蒲生の六地蔵幢2

蒲生には2つの六地蔵さんがあり、こちらは住宅街から坂を下った場所にある六地蔵さんです。この六地蔵さんは、中台が傘のように下が広くなっていて、他には久原でしか見かけない様式でした。お地蔵さんが彫られている龕部を見ると、古さを感じますね。

宝珠が無いのは、欠落してしまったからなのでしょうか。

方保田の六地蔵

山鹿市方保田の六地蔵
山鹿市方保田の六地蔵

方保田遺跡の近くの住宅地、阿弥陀尊堂に六地蔵幢があります。

高さは210cmほどで基台部分は固められいます。龕部のお地蔵さんは半肉彫りで、6面とも風化したのかはっきりとした形がわからない状態でした。

(このお地蔵さんは、サイトを見て下さった方から情報をお寄せいただいて見ることが出来ました。)

中の六地蔵

山鹿市中の六地蔵幢

旧山鹿郡三十三観音の十九番札所「雲閑寺」の近くにある六地蔵幢です。背が高い六地蔵さんで、全体的に保存状態がとても良く感じました。宝珠の請花も綺麗ですね。

龕部に彫ってある六地蔵さんは、薄肉彫りで厚みが5mm~10mmほどで彫られています。六面のうち1面だけ頭の部分が摩滅していますが他の5面はほぼ綺麗に残っていました。

ここは通学路なのだそうです。今も昔も、子どもたちを見守り続けるお地蔵さんです。

熊入の六地蔵

熊入の住宅地の真ん中くらいにある背の高い六地蔵さんです。宝珠がとくに立派で見ごたえがあります。地蔵菩薩が載せてある中台は請花で、蓮華が彫ってある様子が伺えます。また、基台(土台)部分にも蓮華でしょうか、彫りで飾られているのがわかります。美しい六地蔵幢です。

ここは個人の敷地なのかな?柵があり、六地蔵さんは一段高いところに建ててありました。

山鹿の六地蔵(長源寺前)

長源寺前の六地蔵幢

旧山鹿郡三十三観音の18番札所である長源寺。参道の前に六地蔵幢があります。

さくら湯から徒歩3分の場所です。

山鹿の六地蔵(さくら湯前の薬師如来堂)

山鹿市山鹿の六地蔵幢山鹿市薬師如来堂前の六地蔵 2020/6/16

さくら湯の隣りにある薬師如来堂。お堂のすぐ前に六地蔵さんが建っています。

太い幢身は四角中の上の角を斜めに削ぎ落とした形をしており、中台が無く、地蔵菩薩が彫られた龕部は幢身の上に直接載っています。

分厚い傘の上の宝珠は珠のように球形で、梵字が彫ってあります。梵字が彫ってある六地蔵の宝珠は山鹿市ではここでしか見ていません。(※だいたい高い位置にあるのでよく見えないのですが…)

全体的に作られた当時そのままのような古さです。

いつから建っているのでしょう。この場所は豊前街道沿いにあり、また山鹿温泉の中心地とも言える場所です。さくら湯にも大勢来られ、また、薬師如来参拝の時に多くの人に見つめられたことだと思います。もしかしたら篤姫も見たかもしれない、想像を掻き立ててくれる六地蔵さんです。

街道を行き交う人々の道中の無事と地域の人々の健康を祈念して立てられたのでしょうね。

山鹿市薬師如来堂前の六地蔵 2010/5/5

この写真は2010年5月5日に撮影したものです。だいたい同じような場所から撮影しているのですが、何やら雰囲気が違います。

そう、後ろにあるはずのさくら湯がありません。

さくら湯は江戸時代の1640年に細川忠利公が御茶屋を築いたことがはじまりのようです。明治大正昭和と増築・改修を重ねていきましたが、昭和46年の大火によって消失してしまいました。

昭和50年から平成21年(2009年)までは山鹿温泉プラザ内で営業されていて、今の建物が完成し営業を再開したのは平成24年、2012年になります。

六地蔵は山鹿を代表する温泉施設である、さくら湯の歴史もずっと見つめていたのです。

※お堂の敷地内に建てられている六地蔵さんは、大抵の場合、近くの道路の改修の際に移転されてきたものも多いのですが、豊前街道沿いで往来が多かったと思われますので、さくら湯の近所に建てられていたのだと想像しています。

 

山鹿の六地蔵解説

六地蔵のかたち解説と山鹿市の六地蔵一覧

お願い
山鹿地区ほか、ここに掲載していない六地蔵さんがありましたら、お教えいただければ幸いです。また、それぞれの六地蔵さんについて、現在に至る経緯をご存知でしたら、ぜひご教授ください。よろしくおねがいします。

  1. 古庄伸行(のぶ) より:

    こんにちは。熊本市中央区保田窪に在住の64歳男性です。サイクリングで史跡巡りするのが好きで、「やまが・あい」の情報を参考に、見損ねていた蒲生や久原の六地蔵を先日廻って来たところでした。

    山鹿市の六地蔵で、「やまが・あい」に載ってないものを、三岳に住む自転車仲間が教えてくれたことがありましたので、今朝、訪ねてきました。
    三岳保育園の西側の駐車場の右奥に比較的綺麗な形で建っていました。駐車場は保育園の所有地で、事務長さんの出勤前でしたので、道路から望遠で写真だけ撮って帰りました。ご参考までに、下にグーグルマップのストリートビューのURLを貼っておきます。

    https://www.google.co.jp/maps/@33.0496897,130.6868352,3a,56.3y,8.73h,94.09t/data=!3m6!1e1!3m4!1skTf69tBI1jseNzZ8urfn3w!2e0!7i13312!8i6656

    なお、当方、熊本県内の六地蔵であれば、おそらく8割くらいは廻りました。六地蔵は色んなタイプがあって面白ですね。「やまが・あい」の六地蔵情報が益々充実することを祈っております。

  2. やまがあい より:

    古庄様、コメント・情報ありがとうございます。
    8割も見られているとは凄いですね。

    六地蔵・六地蔵幢の場所は本などに載っていることは稀ですので見つけるのに苦労していて、蒲生と久原の2つ目3つ目の六地蔵幢は自転車で巡っているときに偶然見つけました。
    サイトを見てくださっている方からの情報はとてもありがたいです。

    現在の山鹿市のうち合併前の旧山鹿市には、もう少しあるかも知れませんので、これからも探してみます。

    ※御本名が書かれていましたので、その部分は削除いたしました。ご了承ください。

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