山鹿市菊鹿町(きくかまち)にある六地蔵さんです。
山鹿市には六面に地蔵菩薩が彫られている六地蔵幢が数多くあり、菊鹿町には石工仁平とその息子の金七が作った六地蔵幢があります。
記録によると菊鹿町には12基の六地蔵幢があったようで、現在、基台から上部まで残っているのは8基だと思われます。
内野の六地蔵

菊鹿町内野にある六地蔵さんです。菊鹿町で一番古い六地蔵幢で山鹿市の指定文化財になっています。1473年の室町時代に作られたようです。
現在の龕部(地蔵菩薩が彫られている部分)、傘、宝珠は江戸時代に補修されたものと標柱には書かれています。作り変えられる前の龕部、室町時代のものは保管されているそうです。
土台は広く四角形で幢身も四角柱でしっかりと上部を支えています。四角柱の幢身でこのように高いものは、熊本県では初期に作られた六地蔵幢に多くみられるものです。龕部に彫られた地蔵菩薩は衣まで美しく、宝珠も欠けがなく美しくかたちが残っています。
初期の龕部を見たいところです。
川西の六地蔵

菊鹿中学校のお隣に立っている六地蔵さん。寛政の時代、金七の銘が彫られている六地蔵幢です。作られた年ははっきりしないそうです。
生徒たちが登下校する門のそばに立っていて、いつも見守られています。近くには、現存する中で県内最古の宝篋印塔があります。
また、ここから菊鹿中学校の敷地を見ると門の奥に大きな岩が見えます。この石はかつて中学校校庭の場所にあった徳塚古墳の石室の一部です。
川西の六地蔵幢は中学時代は毎日のように見てたはずですが、何も気にすることもなく通り過ぎていました。歳を重ねるにつれてこの六地蔵幢を気にして見る機会が増えた気がします。
下永野の六地蔵

あんずの丘、市役所菊鹿支所への坂の入り口にあります。菊鹿地区で一番人々に見られている六地蔵さんですね。
元はこの場所ではなく移転されています。以前に建っていた場所は三叉路で、恐らく、あんずの丘公園ができそこに通じる道ができたあとに現在の位置に建て直されたのだと思われます。
近くには陣の内古墳がありま
黒蛭の六地蔵

黒蛭地区の公民館近くの三叉路にある、石工仁平の作と考えられており、1761年(宝暦11年)に作られた六地蔵幢です。仁平が作ったと考えられるなかで菊鹿町にある六地蔵幢の中で最も古いものです。
写真の右側へ登っていった場所に広場があり、奥の坂を登ると馬頭観音さんがあり、地区の(ごく小規模な)お祭りがあるそうです。
太田の六地蔵

太田の橋のところにある六地蔵さんです。石工仁平の作と考えられており、1777年(安永6年)に作られたものです。
いつも華やかに飾り付けてある、地元の人達の六地蔵さんへの想いを感じられます。
小畑の六地蔵

菊鹿町から鹿北町へ通じる道の道中にあります。金七が1793年(寛政5年)に作ったもののようです。
いつも密やかに見守られている印象を持っています。
山の井の六地蔵

山の井の公民館そばにある六地蔵幢です。金七が1818年(文化15年)に作ったものと考えられています。
相良の六地蔵

相良観音のすぐ近くにある六地蔵です。石工仁平が1774年(安永3年)作った六地蔵幢とされています。
相良観音へ参拝に向かう人々の安全を祈願して建てられたものだと思います。
龕部と中台が新しく感じますので、その部分は新しくされたのでしょうね。
年山の六地蔵

年山の六地蔵さんは地蔵菩薩が6体並んだ六地蔵になります。こちらは石工仁平の銘が彫られておりが1774年(安永3年)に作ったものです。
この6つの六地蔵さんの左横にはもう一つのお地蔵さんがいらっしゃいます。
石工 仁平、息子の石工 金七は菊鹿町で多くのものを作っています。例えば松尾神社の仁王像や日渡にある九州で一番古い眼鏡橋である洞口橋も仁平の作と言われています。鳥居等もあるようですので探してみたいですね。
光厳寺の六地蔵塔
私は見に行っていなので写真はありませんが、上永野にある光厳寺の築山に六地蔵塔があるようです。龕部は6面ではなく、4面でそのうち2面に2体のお地蔵さんが彫られています。このような形態は県内では7基しかないようです。
日渡の六地蔵幢
私は見たことがないのですが、日渡に1548年に建てられた六地蔵幢があるようです。菊鹿町史によると現在は基台(土台)と六角柱の竿石が残っているだけとのことですが、竿石には銘文も残っていて、なぜこの六地蔵幢が建てられたのか、その想いを知ることができます。ぜひ行ってみてみたいです。
菊鹿町の六地蔵データ
名称 | 建造年 | 西暦 | 石工 | 高さ |
---|---|---|---|---|
内野の六地蔵 | 文明5年 | 1473 | – | 220 |
川西の六地蔵 | 寛政年代 | 金七 | 312.5 | |
下永野の六地蔵 | 享保8年 | 1723 | 208.5 | |
黒蛭の六地蔵 | 宝暦11年 | 1761 | 271 | |
太田の六地蔵 | 安永6年 | 1777 | 260 | |
小畑の六地蔵 | 寛政5年 | 1793 | 265 | |
山の井の六地蔵 | 文化15年 | 1818 | 248 | |
相良の六地蔵 | 安永3年 | 1774 | 260 | |
年山の六地蔵 | 安永3年 | 1774 | 仁平 | |
光厳寺の六地蔵 | 15-16世紀 | |||
日渡の六地蔵 | 天文17年 | 1548 |
この表は『菊鹿の石造物』を参考に書いています。
石工仁平・金七は銘を入れることがあり、2箇所の六地蔵さんに銘があります。ただし、六地蔵幢については、その年代、形などをみると、「仁平作ではないか」と考えられるものがあります。
- 黒蛭の六地蔵(仁平・1761)
- 相良の六地蔵(仁平・1774)
- 太田の六地蔵(仁平・1777)
- 小畑の六地蔵(金七・1793)
- 山の井の六地蔵(金七・1818)
山鹿の六地蔵解説
お願い
菊鹿町のほか、ここに掲載していない六地蔵さんがありましたら、お教えいただければ幸いです。また、それぞれの六地蔵さんについて、現在に至る経緯をご存知でしたら、ぜひご教授ください。よろしくおねがいします。