陣の内古墳(菊鹿町)の2010年と2020年

陣の内古墳(じんのうちこふん)

7世紀始めの頃の古墳です。地元では「穴天神(あなてんじん)」と呼ばれていたようですが、当初私はこの古墳の存在すら知りませんでした。

※これは2010年4月18日に行ったときの模様なのですが、10年後の2020年6月10日に再び訪れましたので下部に書いています。

民家の隣りにある陣の内古墳 2010年4月18日

「横穴石室の古墳があんずの丘の近くに有る」という。

そんな話をはじめて聞いた私は自転車に乗って行ってきました。
近くにはよく行っていたものの全く聞いたことがありませんでしたので疑心暗鬼でしたが行ってみると、集落のど真ん中にありました。

陣の内古墳の墳丘と石室

小さな茶畑の横に標柱があります。民家に隣接した古墳でした。

到着したところはどうやら墳丘の隣のお堂のようです。奥のこんもりしたところが古墳になります。当初、疑心暗鬼なのも手伝って、墳丘に気づかず帰りそうになったのでした。

 

こちらが、石室入り口。
小さい茶畑の横を下に降りて見上げると石室の入口ありました。
大きな石で組まれた古墳のようです。

 

石室内部。広さは3畳くらいでしょうか。

幅が約2.3m、奥行きが2.8mほどのようです。

墳丘の上部。石室の石が見え隠れしています。

小さな古墳ですので、ずっとこのまま残っていくのでしょうね。

陣の内古墳の西側に陣のかまど古墳?

平成10年に発行された「わたしたちの菊鹿町」という本があります。

ここには

陣の内古墳の西側に「陣のかまど古墳」という場所があり、「まが玉」が発見されたという記載があります。

ところが、Google Map先生どころかグーグル先生に聞いてみても、地元の方らしき方に聞いてもの「陣のかまど古墳」がどこなのか、なかなか探し出せません…

もう少し調査してみて、分かったら記載したいと思います。

陣の内古墳 2020年6月10日に再訪

10年前との比較。
石室入り口がむき出しになっています。

こちらは、石室前の2010年の写真です。
草がたくさん生えていて、土がしっかりしている感じが伺えます。
(2020年の写真は近々撮影してきますが、乾ききった土が出ていました)

 

これは、石室の上の部分。
土が剥がれ落ちて、石が見えてしまっています。

墳丘の全体に植物が少なくなっていて、石室へ行く上り坂の土が乾ききって、一歩踏み出すと崩れていきましたので、正面の下の方から登るのを諦め、横から撮影をして帰りました。

このような状況ですので、正面から登ったり、横から石室前に行って中を見るということは控えたほうが良いかもしれません。どちらも一歩間違えば下まで転落してしまいます。

今後どの様になるか分かりませんが、少し気にかけて様子を見ていこうと思います。

陣の内古墳の場所

場所は菊鹿町下永野の集落の中央あたりにあります。

県道37号線を北へ行き、あんずの丘入り口交差点を右へ、すぐに右側に見える集落です。まずはお堂を見つけてください。

この交差点、あんずの丘への登り口には下永野の六地蔵さんがあります。また、400mほど菊池方面に行った場所には竜口横穴群があります。

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